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合理的な選択は、本当に常に最善か?ジャムの実験が教えること

phoue

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数日前、スーパーでジャムを買おうとして10分間も立ち尽くしてしまった。いちごジャムだけでも8種類もあったからだ。低糖、オーガニック、輸入品、国産、種入り、種なし。結局、適当なものを手に取って店を出ながら、こう考えた。「私は今、合理的な選択をしたのだろうか、それともただ疲れて諦めただけなのだろうか」。

経済学の教科書を開けば答えは単純だ。人間は合理的である。**与えられた情報の中で自身の効用を最大化する選択(Rational Choice)**をする。しかし、「その情報の中で」という条件がどうしても心に引っかかった。8個の中から選ぶことと、80個の中から選ぶことが同じ重さであるはずがないからだ。

合理的な選択
合理的な選択

合理的な選択理論が本来伝えたかったこと

まず誤解を解いておく必要があるだろう。合理的な選択理論は、人間が常に正解を選ぶと主張する理論ではない。合理的な選択理論は、選択のプロセスを説明しようとするものではなく、選択の結果とパターンを予測しようとする理論だ。つまり「なぜそう選んだのか」を脳の中まで覗いて解明しようというのではなく、一貫した選好体系さえあれば、ある程度予測可能なパターンが出てくるという約束事のようなものだ。

その前提も考えていたより単純だ。個人は選択肢の間で選好を持っており、その選好は完備されており(二つのうち一つを選ぶか、無差別であると言える)、推移的である(AをBより、BをCより好むなら、AをCより好まなければならない)。ここまではかなり合理的な要求のように聞こえる。問題は、現実の選択がこのすっきりとした条件下だけで行われるわけではないという点にある。

KDIの資料を探していて興味深い文章を見つけた。私たちが実際に直面する選択は、「飢えるか、腹一杯食べるか」といったゼロサムゲームのような形態ではなく、ご飯をあと一口食べるかどうかを決めるような「限界的選択」だということだ。つまり、そもそも合理性というものも、極端な二つの選択肢の間で発揮されるのではなく、非常に微細な調整においてその都度作動しなければならないということだ。この微細な調整が積み重なると、ある瞬間、脳が先に疲弊してしまう地点が訪れる。

スーパーの陳列棚に並ぶ様々なジャムの瓶と、悩む客の手
スーパーの陳列棚に並ぶ様々なジャムの瓶と、悩む客の手

*## ジャム24種 vs 6種、選択肢が増えると売れない理由

ここで、あの有名な実験について触れないわけにはいかない。スタンフォード大学のマーク・レッパーとコロンビア大学のシーナ・アイエンガーは、スーパーに試食ブースを二つ設置した。片方にはジャムを6種類、もう片方には24種類陳列した。

予想通り、人々は選択肢が多い方に集まった。24種類のブースには通りすがりの客の60%が足を止め、6種類のブースには40%だけが足を止めた。ここまでは常識と一致する。選択肢が多ければ、人々はより惹きつけられるのだ。

ところが、実際の購入となると話は完全に逆転する。24種類のブースでは訪問客のわずか3%しかジャムを購入しなかったが、6種類のブースでは30%が購入に至った。数字に換算すれば10倍の差だ。選択肢を増やしたところ、興味は増したが、実際の行動はかえって減少したのだ。

選択肢の数によるジャム試食ブースの関心度・購入率の比較

| 区分 | ジャム6種ブース | ジャム24種ブース |

|—|—|—|

| ブースに立ち寄った割合 | 40% | 60% |

| 実際の購入割合 | 30% | 3% |

二人はこの結果をチョコレートでも再確認した。6種類のチョコレートと30種類のチョコレートを置いて2個ずつ試食させた後、10点満点で評価させたところ、6種類のブースの平均満足度は6.25点、30種類のブースは5.5点だった。選択肢が多かった方こそ、かえって満足度が低かったという話だ。ここまで来ると、「選択肢が多いほど良い」という直感そのものを疑ってみるべきではないだろうか。

なぜ選択肢が増えると悪化するのか

この現象にしっかりとした名前をつけたのが心理学者のバリー・シュワルツだ。彼は2004年の著書で、選択肢が増えるほど人々はより良い決定を下すのではなく、かえって決定を下せなくなったり、決定後により大きな後悔を経験したりすると主張した。

メカニズムは大きく二つに分かれる。一つは選択肢が多すぎて脳が過負荷を起こし、決定そのものができなくなる場合であり、もう一つは選択肢が多いほど「別のものを選んでいればもっと良かったかもしれない」という後悔が大きくなる場合だ。前者は決定がなされない問題であり、後者は決定はしたものの、その決定がずっと心に引っかかり続ける問題だ。性質は異なるが、結果は似ている。満足感が減少するのだ。

これを極端に突き詰めると、決定そのものを放棄する地点にまで至る。心理学ではこれを「分析麻痺」と呼ぶが、より良い解決策を逃すことへの恐怖が実際の予想価値を圧倒する状況で、既存の選択肢を維持しようとする無意識の努力の中で決定そのものが抑圧される現象だと説明する。まとめると、情報が不足していて決定できないのではなく、むしろ情報や選択肢が多すぎて決定できなくなるのだ。合理的に考えようとする努力そのものが、合理的な選択を妨げる逆説がここで生じる。

分析麻痺
分析麻痺

個人的には、この箇所で少しドキリとした。私は何かを選ぶとき、常に「もっと調べればより良い選択ができる」と信じてきたが、その信念そのものが罠かもしれないという事実は新鮮な衝撃だった。

満足者と極大化者、私はどちらか

シュワルツは、人々の選択スタイルを二つに分けた。すべての代替案を検討して最高のものを見つけようとする「極大化者(Maximizer)」と、明確な基準を立てておき、その基準を満たした瞬間に選択を終える「満足者(Satisficer)」だ。

面白いのは、実際の成果において極大化者が優れているわけではないという点だ。むしろ投資の事例を見ると、最高の銘柄を見つけようとする極大化者よりも、基準を定めた満足者の方が長期的に良い成果を出すという話がある。「何が最善か」を果てしなく掘り下げる代わりに、「どのような条件を満たせば良いのか」と問いを変えた瞬間、かえって上手に選べるようになるということだ。

これは少し逆転の発想が必要かもしれない。私たちはしばしば「合理的に選ぶ」ことを「可能なすべてのオプションを比較して最適点を見つける」ことだと理解している。しかし、その完璧主義的な合理性がかえって決定を遅らせ、後悔を増やし、満足度を下げているのであれば、それは本当に合理的なのだろうか。それとも合理性という名前を借りた何か別のものなのだろうか。

最後通牒ゲーム、損を承知で拒否する理由

選択の逆説が「多すぎる選択肢」の問題なら、また別の側面を持つ事例がある。ゲーム理論で長く扱われてきた**「最後通牒ゲーム」**だ。ルールは単純だ。一人がお金をどのように分けるか提案し、相手はそれを受け入れるか拒否するかを選ぶ。拒否すれば二人とも一銭も受け取れない。

ULTIMATION GAME
ULTIMATION GAME

純粋に合理的に考えれば答えは決まっている。いくら提案されても0円よりは大きいのだから、受け入れるのが正解だ。実際にゲーム理論で計算される均衡点もそうだ。提案者が自分に有利な取り分を提示しても、相手がそれを拒否すれば二人とも何も得られないのだから、拒否しない方が理論上は正しい選択だ。

ところが、実際の実験ではこの予測が外れ続ける。「10万ウォンのうち1万ウォンを受け取れ。拒否すれば二人とも0ウォン」という提案に対し、伝統的な経済学は「1万ウォンは0ウォンより大きいので受け入れるのが合理的」と言うが、数十年にわたり蓄積された実験結果は、人々がお金だけで計算していないことを繰り返し示している。人々は低い提案を受け入れる代わりに、自分を低く評価した相手に対して「その取引は成立しない」と伝えるために、自分の取り分までも放棄するのだ。

計算機だけで見れば完全に非合理的な行動だ。しかし、少し違った見方をすれば、この人々は「お金」という一つの軸だけを最適化しているのではなく、「公平さ」というもう一つの軸を計算に入れているのだ。この実験は、賃金交渉、成果給、プラットフォーム手数料、相続紛争、人事評価のように、お金の配分が数字だけで終わらず、尊重や地位、権力関係が絡み合う現実の縮図として扱われる。

ここで一つの疑問が生じる。「合理的」という言葉が、そもそも何を最適化するかによって全く異なる答えを出すのであれば、一体誰の基準で合理性を判断すべきなのだろうか。

それで、合理的なのが常に最善か

ここまで来ると、最初の質問に戻ることになる。合理的な選択が常に最善の選択かと問われれば、少なくとも三つの地点でその等式が崩れると言えるだろう。

第一に、選択肢が増えること自体が判断力を削ぐ。情報を集め、代替案を検討することが常に良い決定に結びつくわけではない。ジャムの実験が示したのがまさにこの点だ。

第二に、何を最適化すべきかが曖昧だ。最後通牒ゲームで見たように、人々はお金だけでなく公平さ、プライド、関係などを一緒に天秤にかける。そうなると「合理的」という言葉自体が、計算項目が一つではないという意味になる。

第三に、完璧を求める態度自体が代償を払う。極大化者が満足者より良い結果を出せないという事例は、合理性を押し進める努力自体にもコストがかかることを教えてくれる。

だからといって、合理性が無用だというわけではない。ただ、合理的な選択理論が本来狙っていたのは「選択の結果を予測可能にすること」であり、「常に最適な答えを保証すること」ではなかったということを再確認する。今日スーパーで8つのジャムの前で10分を無駄にした私も、実はその瞬間にはすでに疲れ果てて、満足者のように適当なジャムを選んだようなものだ。それが最善だったのかは、今でもよく分からない。

参考文献
  1. Wikipedia - 合理的選択理論
  2. Wikipedia - 行動経済学
  3. Wikipedia - 最後通牒ゲーム
  4. Wikipedia - 分析麻痺
  5. KDI経済教育 - 合理的選択
  6. バリー・シュワルツ『選択の科学(The Paradox of Choice)』
  7. アイエンガー・レッパー、ジャムの実験研究
#合理的選択#選択の逆説#行動経済学#ジャム実験#最後通牒ゲーム#満足者#極大化者#意思決定#機会費用#決定疲労

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