posts / Economics

負債こそが祝福である――国家信用の誕生

phoue

1 min read --

1790年1月、新たに誕生したアメリカという国は、すでに破産寸前の状態にありました。大陸会議が戦争中に発行した紙幣は価値が暴落して事実上の紙くずと化し、兵士たちに給与の代わりに配られた借用証書は、市場で額面の数分の一で取引されていました。ところが、初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンが議会に提出した最初の報告書の結論は奇妙なものでした。借金を減らそうというのではなく、各州が抱えた戦時負債まで連邦政府が丸ごと引き受け、むしろ負債を増やそうという提案だったのです。「適切に管理された国家債務は、祝福である。」 彼はそう記しました。

借金が増えるのに、なぜそれが祝福なのか、当時の議員たちも理解できませんでした。ジェファーソンやマディソンにとって、借金とは罪悪そのものでした。個人であれ国家であれ、背負った借金は返済して消し去るべき対象であり、抱え込んで管理する対象ではなかったのです。この常識とハミルトンの提案との間にある溝、そこからアメリカの金融システムの最初の1ページが始まります。

あなたが今クレジットカードを切ったりローンの利息を計算したりするときに前提としていること、すなわち「借金にも格付けがあり、うまく背負った借金は資産になる」という感覚そのものが、このとき初めて作られました。国家信用格付けのニュースを見るたびに私たちが当たり前のように受け止めているその概念は、236年前には存在しない発想だったということです。そして、この発想を実際に機能させるためには、誰かがまずその対価を支払わなければなりませんでした。

A worn 1780s American continental currency note and war certificate
A worn 1780s American continental currency note and war certificate

返さなくてもいい借金がある

ゲーム理論には「繰り返しゲーム」という概念があります。一度会って別れるだけの相手に対しては、わざわざ約束を守る理由はありませんが、今後も顔を合わせ続ける相手であれば話は変わってきます。今日の約束を破れば、明日から誰も自分と取引してくれなくなるからです。そのため、繰り返しゲームの中では評判、すなわち「この人は約束を守る」という信頼そのものが実質的な資産になります。返済能力があるかどうかよりも、返済すると信じさせられるかどうかが重要になる瞬間です。

ハミルトンが設計したのも、まさにこの構造でした。彼は戦時債券を保有していた人々に額面全額を返済すると宣言しました。それどころか、二束三文で債券を手放した元の持ち主ではなく、それを買い集めた投機家に全額を支払うというものでした。マディソンはこの方式に真っ向から反対しました。彼は当初証書を受け取った兵士や農民には額面を、後から安値で買い叩いた投機家には実際の買入額だけを支払おうという「差別支給案」を提出しました。道徳的にははるかに公平に見える案でしたが、議会で否決されました。

ハミルトンの計算は異なっていました。今誰が債券を持っているかではなく、今後アメリカ政府が発行する紙切れが本当に金になるのかどうか、その信頼を作り出すことこそが目的だったからです。もし政府が「誰に返済するか」を都合によって変えられる国だとしたら、いかなる債権者もその紙切れを本物の資産とは見なさないでしょう。借金を返して消し去るのではなく、借金を背負い続け、利息をきっちり払い続ける国だという評判を築き上げること。それこそが、ハミルトンの言う「祝福」の正体でした。一度返済して終わる個人の借金と、転がし続けながら信用を証明していく国家の借金は、そもそも異なるゲームだったのです。

3万ドルの差で分かれた採決、そして夕食会

数字に目を向けると、この賭けの大きさが浮き彫りになります。当時アメリカ政府が抱えていた債務は、連邦の負債と各州の戦時負債を合わせて約7,900万ドル規模と推定されていました。その年の連邦政府の年間歳入はわずか400万ドル余りでした。今日で言えば、年収の20倍近くに達する借金を新たに引き受けると宣言したようなものです。

議会はこの案を巡って夏の間中、膠着状態に陥りました。採決は僅差で否決されました。バージニアのようにすでに自力で負債を返済していた南部諸州は、なぜ自分たちの税金でマサチューセッツのような北部諸州の借金まで肩代わりしなければならないのかと反発しました。マディソンは、ハミルトンの試算通りならバージニアが新たに負担する連邦税は500万ドルに達するのに対し、連邦政府が引き受けてくれるバージニアの負債は300万ドルに過ぎないと詰め寄りました。

この膠着が解けたのは、1790年6月20日、ニューヨークにあったジェファーソンの自宅での夕食会の席でした。ハミルトン、ジェファーソン、マディソンの3人は、負債引き受け案を通過させる見返りとして、新たな連邦首都を南部のポトマック河畔に建設することで合意しました。財政政策と首都の所在地という、一見何の関係もなさそうな2つの問題が、その食卓の上でひとつに結びついたのです。2か月後の8月、資金調達法(Assumption Act)が可決され、各州の負債約2,150万ドルが連邦政府へと移管されました。

A quiet 18th-century Potomac riverbank at golden hour, empty grassland where a future capital city will stand, distant silhouette of Philadelphia rooftops on the horizon
A quiet 18th-century Potomac riverbank at golden hour, empty grassland where a future capital city will stand, distant silhouette of Philadelphia rooftops on the horizon

ここで注目すべきは交渉の技術ではありません。国家というものが憲法という1枚の文書で完成するのではなく、借金を返すという約束を実際に守り続けるプロセスの中で徐々に形作られるという事実です。1789年のアメリカは、13の州が緩やかに結びついた紙の上の連合体に過ぎませんでした。1790年8月、各州の債権者たちが個別の州ではなく連邦政府を債務者として見つめ始めたその瞬間から、アメリカはひとつの財政単位として実際に機能し始めたのです。

酒と税金――信用の対価は誰が払ったのか

ここで、もうひとつの問いを投げかけなければなりません。連邦政府がこの巨額の負債の利息を毎年返済していくための資金は、一体どこから出たのでしょうか。ハミルトンは関税とともに国内消費税を財源とし、そのうちのひとつがウィスキーをはじめとする蒸留酒に課す消費税でした。1791年に導入されたこの税金は、東部都市の債権者たちに利息を支払うため、西部辺境地域の農民たちから徴収されました。

この構造は偶然ではありませんでした。ペンシルベニア西部のような山岳辺境地域の農民にとって、穀物をウィスキーに蒸留することは単なる嗜好品の生産ではなく、輸送が困難な穀物を傷まない形に変える生活手段でした。ところが新税は、こうした小規模な蒸留業者に対して大規模蒸留所よりも相対的に重い負担を強いるものでした。ついに1794年、西部の農民たちは徴税官を襲撃し、武装蜂起を起こしました。「ウィスキー反乱」です。ワシントンは自ら民兵隊を率いて鎮圧に乗り出しました。

債券市場で信用が創出される光景と、辺境の農民が徴税官にタールを浴びせかける光景は、同じ政策の表と裏です。都市の債権者たちが額面全額を回収しながら国家への信頼を深めていく間、その信頼のコストは政治的発言力の乏しい辺境農民の懐から吸い上げられていました。国家信用という発明品は、タダで作られたわけではありません。利益を得る側とコストを負担する側が、最初から異なる人々だったに過ぎないのです。

信頼が通貨になる瞬間

負債の引き受けは単なる会計処理ではありませんでした。13の独立した債務者をひとつの債務者に統合する作業であり、その結果として生み出されたのは、ひとつの信用、ひとつの市場、ひとつの国家でした。各州の債権者たちがもはや自らの州政府ではなく連邦政府を見つめるようになったとき、彼らは初めて「アメリカ」という単一の実体と取引する経験をすることになります。憲法が政治的統合を宣言したのだとすれば、負債の引き受けはその統合を債権者たちの帳簿の上で現実のものとした出来事でした。

そして、この信用は直ちに取引され始めました。連邦政府が発行した新しい債券は市場で売買され、事実上の通貨のように流通し、不足していた流動性を補いながら新生国の商業を動かす原動力となりました。紙切れ1枚に過ぎなかった国家の約束が、実際に取引され信頼される資産へと転換した瞬間でした。ただし、その紙切れが信頼を獲得するための対価は、誰かが税金として、誰かは武装蜂起という形で支払わなければなりませんでした。

236年後の今も変わらぬ問い

今この瞬間にも誰かが米国債を買い、ある国は国家信用格付けが下がったという知らせに通価価値が揺らぎます。その根底に横たわる問いは、1790年のあの夕食会の席と大して変わりません。返済能力があるかよりも、返済すると信じさせられるかどうか。国家であれ個人であれ、信用とは結局のところ「次回もこの関係が続く」という相手の信頼の上に成り立っています。

しかし、ウィスキー反乱はもうひとつの問いを残しました。信用を守るコストは決して平等には分配されないということです。今日、財政緊縮や国債償還を巡って繰り広げられる議論においても、私たちは依然として同じ問いを別の言葉で繰り返しています。「誰の信頼を守るために、誰の財布が真っ先に開かれるのか」。ハミルトンはこの信頼を作り出すことには成功しましたが、その成功の代償として次なる戦いの幕を開けました。借金を返す能力を作るには税金を徴収しなければならず、税金を徴収するにはその資金を管理する機関が必要でした。彼が次に議会へ突きつけたのは、それまで一度も存在したことのなかった組織――国立銀行でした。

参考文献
  1. Wikipedia, 1790年資金調達法 https://ko.wikipedia.org/wiki/1790%EB%85%84_%EC%9E%90%EA%B8%88_%EC%A1%B0%EB%8B%AC%EB%B2%95
  2. Wikipedia, 公共信用に関する最初の報告書 https://ko.wikipedia.org/wiki/%EA%B3%B5%EA%B3%B5_%EC%8B%A0%EC%9A%A9%EC%97%90_%EB%8C%80%ED%95%9C_%EC%B2%AB_%EB%B2%88%EC%A7%B8_%EB%B3%B4%EA%B3%A0%EC%84%9C
  3. Wikipedia, 債務引受 https://en.wikipedia.org/wiki/Debt_assumption
  4. Wikipedia, ハミルトン経済プログラム https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%95%B4%EB%B0%80%ED%84%B4_%EA%B2%BD%EC%A0%9C_%ED%94%84%EB%A1%9C%EA%B7%B8%EB%9E%A8
  5. IMF F&D Magazine, 米国金融システムの歴史 https://www.imf.org/en/publications/fandd/issues/2018/03/gaspar
  6. 米合衆国下院, 第1合衆国銀行 https://history.house.gov/Historical-Highlights/1700s/1791_First_Bank/
#alexander-hamilton#assumption-plan-1790#first-report-on-public-credit#us-national-debt-history#hamiltonian-economics#credit-history-usa#compromise-of-1790#war-certificate-speculation#whiskey-rebellion-1794#treasury-department-history

Recommended for You

同じ借金、異なる結末 — 信用という武器の発明

同じ借金、異なる結末 — 信用という武器の発明

1 min read --
「カードで決済してください」という言葉がボイスフィッシングより怖い理由

「カードで決済してください」という言葉がボイスフィッシングより怖い理由

1 min read --
15歳で大学へ、中国の天才たちの定員を8倍に増やした理由

15歳で大学へ、中国の天才たちの定員を8倍に増やした理由

1 min read --
PPIが35ヶ月連続マイナスであることの示す中国経済の陰

PPIが35ヶ月連続マイナスであることの示す中国経済の陰

1 min read --
中国がオープンウェイトで最高性能のAIを解禁する理由

中国がオープンウェイトで最高性能のAIを解禁する理由

1 min read --
中国が銀行専用線に量子技術を導入した理由

中国が銀行専用線に量子技術を導入した理由

1 min read --

Advertisement

コメント